【1980年代の記憶と今】大津市中央で小学校時代の思い出を振り返ってみた

ふるさと 滋賀県大津市
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こんにちは、ハナメガネです。

私は滋賀県大津市の出身です。大学進学とともに故郷を離れましたが、毎年実家には何かしらの機会に帰省していました。しかし、最近は新型コロナウイルスの影響などもあり、約3年ほど帰省していませんでした。

帰省できないためか、43歳のおっさんである私は最近望郷の念にものすごく駆られるようになってしまい、特に小学校時代に住んでいた大津市中央という所での記憶がすごく気になっていました。

そこで、先日仕事で関西に出張する機会についつい寄ってしまい、2万歩もぶらついてしまう始末。

これから書く記事は、私の幼少時代の記憶と今の写真(2021年3月27日現在)を羅列していくだけの、まさに私だけのための記事となっています。皆さんの何の役にも立たない記事かもしれません。ご了承ください。

あまりよくないことも書いてしまうかもしれませんが、もう2~30年前のことですので時効と思って流していただけると幸いですw

 

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大津市中央の記憶と今 ~中央団地編~

私が小学校時代に住んでいたところからの最寄り駅は、京阪電車の島ノ関駅という駅です。小学校では電車にのることはほとんどなかったものの、みじかな路線で路面も走っているところもあり、京阪電車は非常に身近な存在でした。

10分に1本は走っているのは意外でした。JR相模線より本数が多い…。

島ノ関駅から浜大津駅(いまはびわ湖浜大津駅というそうです。)方面へ向くと、以前私が住んでいた県営の中央団地が見えます。小学校もそのすぐ裏にある中央小学校に6年間通っていました。

中央小学校のそばの線路からの一枚。私は小学校時代スポーツ少年団で野球をやっており、今となっては信じられませんが、何かふがいないプレーをするとそのころのコーチに「これとってこーい!!」といわれて、この京阪電車の線路にボールを打ち込まれますw

そして小学校の柵を乗り越え、線路内に立ち入ったものです…。昭和ってそんな時代だったんだなぁ…。

そして私がこのころ住んでいた中央団地です。今も古い感じですが、当時も同じような感じでした。改修工事などはされたのでしょうか?

ここに住んでいると、びわ湖花火大会の時は屋上で見ることができ、大きな花火を正面上空で見れる特等席でした!

写真は中央団地の横にあるスペース。昔はここで壁あてや素振りなんかを夜やってました。当時「はじめの一歩」という漫画が少年マガジンで連載されたばかりで、そういった努力系のスポ根漫画を好んで読んでいました。確実に影響をうけて育っていると思います。

中央団地の裏にある中央小学校グランド。右側に山みたいなのがありますが、昔は「体力の塔」とよんでおり、すごい高さの雲梯や滑り台、ジャングルジムみたいなものがありました。今は撤去されているようです。

今でこそ危険とか言われますが、昔はそんな遊具は少なくなかったような気がします。今の子はちょっと過保護じゃないかな?

昭和のおじさんが言いそうなコメント…。

中央団地の前の大通り。JR大津駅までまっすぐ道路が続いています。1階部分はテナントになっており、今でも飲食店が2店舗ほど営業されていました。写真手前のお店はあのころからやっていたおみせかなあ?

ここが中央団地の入口。昔もこんなだったような気がします。懐かしい。

中に入って突き当りの裏口。昔、この上のガラスを「あーした天気になーれ!」と言ってサンダル飛ばして割ったことがあります。割れる瞬間がものすごいスローモーションだったのを今でも覚えています。怒られたなぁ。

裏口を出ると中央小学校との間にフェンスがあります。右のネットがかかっている箇所が昔は破れていて、朝はここから入って通学していました。エレベーターを降りればすぐ小学校に入れたので、通学時間は数分でした。

中央団地のエレベーターホール。昔とあまり変わらず懐かしい。今は新規入居者は受け入れていないと聞いています。

当時8階に住んでいたのですが、エレベーターはあまり使用せず、北側にある非常階段を使っていました。エレベーターでは鉢合わせしたくない住民の方もいたからだと思います。

この写真はその非常階段からの写真です。あの頃なかった建物もありますが、変わらない建物もいくつか見ることができます。

これも非常階段から見た中央小学校の校門です。あの頃と多少変わっていますが、懐かしいです。

この非常階段は、私の足腰を発達させてくれました。いまでも階段を主に使う癖がついています。弟たちともよく競走をしていた記憶があります。

これは私が住んでいた8階からの長めです。奥に琵琶湖ホテルが見えますが、当時は京阪レークセンターという施設があって、プールとかバッティングセンター、テニスコートなどがあったと思います。冬にはスケートもできて小学校の課外授業でも行ったことがあります。

で、こっちは大津駅方面の眺め。ホント懐かしいなぁ。ここからスーパーボールを落としてどこまで跳ねるかやったりしたなぁ。

絶対やっちゃダメです!

これがエレベーターホール。本当に、いろんな思い出があります。あまり言えませんが、この団地ではダークな思い出も結構あったと思います。そういう時代だったんでしょうか。

30年ぶりの中央団地でした。良いも悪いもいろんな思い出があります。私にとってのスタンドバイミー的な思い出もありますが、なんでも書いてしまうとあんまりよろしくないので、この辺にしておきます。

 

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大津市中央の記憶と今 ~なぎさ通り編~

次は中央団地から琵琶湖方面に行ってみました。途中にエトワールという喫茶店があります。入ったことはありませんが、昔からこのお店はあります。純喫茶って感じです。

なぎさ通りですが、琵琶湖沿いはずーーーっと整備されて今はきれいな公園が続いています。昔は有刺鉄線付きのフェンスが続いていたような気がします。今は本当にきれいになっていて、もう一度住んでもいいなあと思います。琵琶湖も昔はもっとゴミが浮いていたり、においもくさかったと思います。

夏はビワコ虫と呼んでいた虫が、団地の網戸にいっぱい飛んできていたのを覚えています。

ほんと琵琶湖っていいよなぁ。

今回は行きませんでしたが、右奥に見える白みたいな建物、滋賀県立琵琶湖文化館という建物です。当時は拝観料を払って中に入り、ビワコオオナマズなどを見た記憶があります。今は閉館しているのかな?

釣りを楽しんでいる人が多いですね。ホントいいところだなあ。

 

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大津市中央の記憶と今 ~中央の町、中町商店街など~

琵琶湖からまたまた島ノ関駅に戻ってきました。京阪電車って今はいろんなカラーリングがあるんですね。きれいになりましたね。

中央には吾妻川という川があります。ドブ川というのかどうかはわかりませんが、小学校時代はここでもよく遊んでいました。

風景は変わりましたが、川の形は昔と一緒です。ここでよく「ゴリ」という魚を取っていました。今でも遊んでいる子供たちはいるんですかね?

私の母校である中央小学校の校門前です。私は1990年の卒業生で、その当時から全校生徒数が200名ぐらいのとても生徒数の少ない学校でした。ですので6年間ずっと同じメンバーで、1クラスしかありませんでした。今はどのぐらいの生徒さんが通っているんでしょうか。

私の記憶が確かであれば、写真の机が山積みにされているところあたりにタイムカプセルを埋めてあるはずです。同窓会などされているかどうかわかりませんが、1990年の卒業生でこのブログを読んだ方がいれば、コメントで教えてください!中央小学校の方でも結構です!

もう掘り起こしたのかな?

この写真の建物は昆布熊(コブクマ)さんです。小学校の頃、駄菓子を買いによく通っていたお店です。いまだに営業されているような雰囲気でした。

その当時、このあたりにはほかにも2件ぐらい駄菓子屋さんがありましたが、今はないようです。

天孫神社です。確か縁日などでよく来た記憶がある神社です。この日は桜がきれいで、卒園式の後でしょうか、桜の下で写真を撮りに来ているご家族が多かったです。桜がとてもきれいな神社だったんですね。知らなかった。

滋賀県庁までやってきました。私の母がこの当時ヤクルトおばさんでして、県庁の中を売り歩く際に一緒に回った記憶があります。母はこの時から最近までずっと働いていました。私は母が弱音を吐くところを見たことがありません。

県庁の隣には以前滋賀県体育文化館という建物がありました。私はここで兄弟と一緒に空手を習っていました。真ん中の木はその名残で、今は駐車場となっています。グーグルのストリートビューで過去の映像を見ることができますよ。

中央大通りに戻ってきました。すると、昔からあったコロラドコーヒーという喫茶店がいまだにありました。今はコロナウイルスの影響でしょうか、休業されていました。

また中央大通りを中央団地方面に歩いてきました。昔、このあたりでものすごい髪形をしたヤンキーに、生まれて初めてカツアゲにあったのを覚えていますw

人生で初めて「飛んでみろ」と言われたことを覚えています。よくもまあ小学生から金取ろうとするなぁと、今になって思いますね。ガラ悪いの多かったもんなぁw

昔よくエビ豆を買っていた豆藤本店。今では有名百貨店にもお店があり、お店も増えています。スポーツ少年団で学年は一つ下でしたが、息子さんとチームメイトでした。今はエビが取れなくなっているらしく、残念ながらエビ豆は販売されていませんでした。

大津にはナカマチ商店街と呼んでいた商店街がありました。このころ私は、ガチャガチャをしに行ったり、その当時はやっていたファミコンのディスクシステムの書き換えに行ったり、何かにつけこの商店街によく言っていたことを覚えています。

ちなみに写真の左の建物ですが、以前は同級生の親がやっていた書店でしたが今はやっていない様子でした。

ナカマチ商店街は丸屋町商店街・菱屋町商店街・長等商店街などの総称です。土曜日の午前中ということでしたが、昔と比べるとしまっている店も多く、人通りも少なかったです。

しかし、あのころから営業されているお漬物屋さんやお肉屋さんなどもまだあり、非常に懐かしく感じました。また活気が戻ってくるといいですね。

ナカマチ商店街をひととおり探索したら、京町二丁目の交差点まできて大津駅に向かいました。ここの通りもやっているお店は非常に少なくなりましたね。

大津駅は西側も大きく開発されましたね。駅舎の見た目は昔とあまり変わっていないような気がします。今はビエラ大津という商業施設になっていて、スターバックスコーヒーなども入っているようです。

そして大津駅を背に、中央大通りを北上して島ノ関に戻りました。昔はここは2車線だった記憶がありますが、今は車線が縮小されていました。

 

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昔の記憶をさかのぼって

約30年ぶりに大津の町を散策しました。昔もそんなに賑やかではなかった町だったと思いますが、寂しくも趣のある街並みですし、びわ湖もきれいに整備されてよい環境の町だと思います。特に何があるというわけではありませんが、私の思い出が詰まった大切な街であることに変わりありません。

最後までただただ私の昔の記憶と今の写真を連ねただけの記事となってしまいましたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。

皆さんも昔育った街を歩いてみてはいかがでしょうか?あの頃の自分と会話できるかもしれませんよ。

それでは今日はこのへんで。


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